●2002/02/25●
 眠れねぇ!!

 あ、いや久しぶりに寝たもんだからちょっと寝付けなくて日記かいてます。
 で、さっきからなんかやたら汗がダラダラ出るんですけど。
 暖房も消したし、汗引かないんで今日もビールにおぼれるCLICEです(オ
 #さっき焼肉食いに行って大生2杯飲んでるのに、家帰ってきてまた500を
 #二本飲んでる(オ

 しかし・・・マジで汗止まらんな・・もしかして

 
俺病気?

 この前も蕁麻疹出たしな。まぁ人は死ぬときゃ死ぬから気にしない(オ
 で、マシンがようやくまともになったので、ゲーム製作を開始しようと
 思ったのですが、どうも気がのらず、結局二時間くらいしかやりません
 でした。なのでぜんぜん進んでません(オ

 で、何をやっていたかというと、なんもしてません。ただゴロゴロしてた
 だけですね。
 なんていうか最近こうやってゴロゴロしてるのが一番楽になってきて、
 どうも何かをやろうとすると精神的に疲れちゃうんですよねぇ・・・(^^;
 つーかそれって

 
ある意味死んでるんじゃ・・


 とか言わないように(オ

 つーことで後30分以内には寝ます。朝早いんで。


●2002/02/24●
 どーも、最近疲れを酒で誤魔化す生活のCLICEです(オ
 毎日1.5Lはビール飲んで金欠なのは気にしないでおこう(オ

 ここ最近は親の入院やゲーム製作でまったく時間が無かったせいか、
 ろくに寝ることも出来ませんでした。でまぁ、なんとか生きてます(オ
 今月は今まで使っていたWINDOWS Meがやたら不安定になって

 OS入れなおし計画を立てたところ、ただ入れなおすのに時間をかける
 のはもったいないということで、パーツを入れ替えました。
 で、なにが不安定だったかというと、IEを立ち上がるとそこで使った
 メモリ(リソース)が終了後に開放されずに、そのままメモリが圧迫
 されて最後には

 
フリーズしたり

 
IEを複数ウィンドウで立ち上げている時にホームページビルダーV6を
 動かしたりなんかしたら

 
画面真っ黒になって

 
リセットしたり


 
きっとこれはゲイ○の野望にワナに違いない!恐るべしマイクロ○フト!!

 で、そのワナにしっかり嵌り、WindowsXPなる怪しげなものを買ってきました。
 で、格闘すること2週間、ようやくまともな環境を作ることが出来ました。

 まぁ、標準の状態ではまったく使えませんが、いろいろと設定かえると安定して
 いて結構いけてます>XP

 で、ようやくマシンも動いたので明日あたりからゲーム製作再開と行きます。
 ただ、これやってると

 まったくCG描く暇が無い

 んですよね。
 まぁ、5・6年前と違ってあまりアクティブには描いてなかったにせよ、流石に
 ずっと描かないと偶には描きたくなるんだよねぇ。
 で、今のゲーム製作では基本的にM.D.K.さんが原画担当なので、
 シナリオ書いてる私は偶にいいなぁと思ったり(オイ
 まぁ、キャラデザで4ヶ月くらい前に少し絵は書いたんですけどね。CGは
 まったく書いてないなぁ。
 暇が出来たら描きたいなぁと思う今日この頃。


●2002/02/01●

 初日記です(^^;
 日記と言っても
「不定期」ですが・・・・(^^;
 日記ってどうにも何かイベントがないと書けませんね。小学生の時、夏休み
 に出た日記なんかもある意味地獄って感じでした・・・まぁ、子供の頃はまだ
 イベントが多かったので書けなくもなかったのでしょうけど。

 で、初めての日記となるこのコーナーですが、イキナリダークな話なので、
 笑いを求める方は別のテキスト系ページへどうぞ(笑
 
 んでもって現在ゲーム製作でシナリオを担当しているので、そこら辺も少し
 意識して「只のゴミ」「小説」っぽく行きます・・・。

 ・・・・・・・

 行けたらいいなぁ(ボソ>
イキナリ弱気

 事の始まりは約1・2年位前。いや、実際には20年以上前になるのかもしれ
 ない。
 最初に症状が出たのは32歳の時、その時は単なる痺れということで本人に
 全く自覚症状も無く、医者の診断でも特に問題なしという事であった。

 それから長く時は過ぎ、現在から約5年位前のこと。
 飲み屋で友達と酒を飲む彼。見慣れた店内、何時もと何も変わらぬ友達。
 酒を飲みながら世間話をしていた皆であったが、次の瞬間空気が凍る。
 話の途中、彼へと話が振られる。彼は片肘をテーブルの上に付き、下を
 向いている。
 友達は酒を飲んで眠くなっているのだろうと思い、彼を起こそうとした。
 だが、彼に何度呼びかけようと、彼は友達の言葉に僅かな反応も無い。
 不審に思った友達は彼の体を揺する。彼を起こそうと何度も何度も体を
 揺すった。

 だが、彼は相変わらず反応が無い、目を開けたまま固まっている。まだ泥酔
 するほどの酒も飲んでいるわけでもない。焦った友人の一人が救急車を呼ぶ、
 他の友達は彼に向かって必死に呼びかける。

 暫くして、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。救急車が到着したようだ。
 店の前に救急車が止まり、店へ隊員が入ってくる。
 救急車が到着するまでの間、友達は只管、彼に呼びかけていたが、彼は
 結局目を覚まさなかった。
 だが、隊員が担架へ彼を乗せようとしたとき、彼は突然顔を上げる。

 彼は「あぁ?寝てたか?」などととぼけた事を言う。当然、アレが寝ていた
 とはとても思えない。
 結局その後、救急車で運ばれ検査を受けたが、その時は特に問題無いという
 ことで返された。

 それから更に時が経ち、親戚に精密検査を進められた彼は、とある政治家の
 紹介で知り合いの医者に検査をしてもらった。

 あらゆる最新鋭の医療機器によって約二日間によって精密検査が行われた。
 検査が終了し、結果は直ぐに出た。医者は直ぐに結果を彼に知らせた。

 彼は「脳梗塞」であった。
 通常脳の左右へ太い血管が3本ずつ通っており、系6本の血管の内、通常
 一本でも詰まってしまえば致命的、ようは半身不随、最悪は脳死すらあり得る
 状態だ。

 彼の左脳への血管の内、一本は血栓が出来、完全に血を遮断していた。
 だが、彼には日常生活において、全くと言って良いほど症状が出ていな
 かった。
 あくまで推測の域を出ていないが、周りにくもの巣のように張り巡らされて
 いる毛細血管が偶々発達し、
 僅かではあるが、なんとか脳が活動できるだけの血を流していた、と医師は
 言う。

 症状が出ていないにしても、かなり危険な状況には代わりの無い彼。
 とりあえず脳梗塞の薬を飲むように言われ、飲み続けた。

 その後、通院を続けた彼であったが、何度にもわたる検査において改善が
 見られない。
 病気の進行がかなり進んでいる事、病気の原因となるニコチン、ようはタバコ
 を中々辞め無いなど原因は色々あった。

 そうして、彼は数ヶ月前にとある病院へ入院となった。
 入院とはいえ、検査入院で何かをするというわけではない。再度精密検査を
 行うだけだ。

 以前にも行ったCTにより検査。以前同様、一本の血管は完全に詰まっている
 ようで影が全く見えない。

 結局ここでの治療は難しいと判断され、親戚の紹介でとある大学病院へと検査
 を依頼した。
 その病院での検査結果も以前の病院での結果と同じで、結局薬も同じような
 ものが出ているだけであった。
 彼やその友人・親戚は、手術などは出来ないのかと医師へ尋ねたが、少なく
 ともここでは出来ないという返事であった。
 実際の所、彼らはそれが可能な物であるかも知らなかったが、それから色々
 な病院にかけ合った。
 答えは皆同じ、「脳外科手術は出来ない」であった。
 
 そんなある日の事、親戚の内、同じ脳梗塞、とはいっても彼よりもずっと症状
 が軽いもので現在薬で治療中の人が、脳梗塞の特集をやっている番組を見つ
 ける。
 その番組は何度かに渡って行われたが、彼はそれを後で見ようとビデオ
 テープに取っていた。
 それから数日後、そのビデオを彼は再生する。その中にはとある大学病院の
 教授と講師による、脳外科手術の模様が写されていた。
 数年前までは脳外科手術等、不可能とされていたが近年可能になり、更に
 その教授が世界でも5本の指に入る脳外科医であった。
 それを見た親戚は、彼にこのことを伝える。その後、とある病院の医師に
 お願いし、紹介状を書いてもらう。
 
 それから数日後、招待状を持ち病院へ行く彼と親戚。看護婦に話をすると
 教授は居ないといわれた。
 紹介状を持ってきていると言い看護婦へ見せるが、返事は余り良く無く
 「見ていただけるかわかりませんよ」と言われた。
 とりあえず本人が居ないのではしょうがないので、その日は帰宅する事に
 なった。
 
 それから数日後、その病院から連絡があった。その内容は「診察をして
 くれる」というものであった。
 知り合いの医師があの後直接教授と話をしてくれていたお陰で、なんとか
 見てもらえることとなった。
 
 その病院はまだ出来たばかりの綺麗な病院で、機材も最新の物が数多く
 そろえられていた。
 検査には、例の番組に出ていた教授と講師が見てくれた。
 精密検査には丸一日掛かった。
 翌週に結果が出るという事で、彼はその日自宅へと戻る。
 一週間後、結果を聞きに行く。結果は今までと同じ、聞きなれた「脳梗塞」。
 だが、それだけでは終わらなかった。
 彼には血栓以外に、逆の右脳に「動脈瘤」が出来ていたのだ。
 この動脈瘤も現在はまだ小さいもので問題ないが、2・3年後にはどうなって
 いるか解らない、ということで
 あった。
 当然これが破裂すれば、間違いなく死に近づくことであろう。
 色々と考えた結果、医師の出した答えは、脳梗塞と動脈瘤の両方の手術を
 行うということであった。
 ただ、同時には行えない、ということで二度に渡る手術という事になった。

 そして時は過ぎ、手術5日前。
 彼は手術の為、その病院へ入院した。手術までの五日間も、失敗の起こらぬ
 よう根密な検査が毎日のように行われた。
 確かに脳梗塞ではあるが、今まで普通に生活していた身、病院を普通に歩き
 回るその姿はとても病人のようには見えなかった。

 そして2/1、手術当日。朝9時からということで、息子二人と親戚代表の二人
 が病院へと朝早くから向かう。
 病院へは自宅から約二時間程度の場所にある。早めに出てきたので、7時
 くらいには病院へ着いていた。病院に着くと、四人は彼の病室へと向かう。

 病室に入ると、彼は既に目覚めておりテレビを見ている。その姿は病人とは
 思えない何時もと変わらぬ姿。
 どうやら前日は余り寝れなかったようだ、無理も無い手術する場所が場所だけ
 に気になるのだろう。

 5人は何でもないような世間話を延々としている。そうしている間にも時は
 何時もと同じように過ぎていく。
 手術一時間前、実際に手術を手がける講師がやってきた。
 本人と親戚二人は以前にあった事があるが、息子二人は初対面だった。
 簡単ではあるが、病室で手術の内容について説明が始まる。真白い部屋の中
 に講師の声が響く。
 この講師は前日、前々日にも別の病院で同じような手術を行ってきたそうだ。
 その結果は両方とも成功。というより、過去に失敗した事はないと言う。
 その講師の言葉に、彼も少し心が休まる。ただ、やはり100%確実ではない、
 当然のごとく危険は伴う。
 その事は講師も話の中に付け加えていた。

 講師の話が終り、部屋が静かになる。
 手術の十分前に看護婦が呼びに来るそうだ。
 講師が出て行ったあと、一時の沈黙がこの白い空間を包み込む。
 その沈黙を破るかのように、一人の男が姿を表す。
 今回の手術の指揮を取る教授であった。教授は病室に現れると、先程講師が
 話した内容と似たような話をする。
 だが、講師の時以上に、その言葉一つ一つには自信が満ち溢れていた。
 当然100%なんてものはこの世に存在しない。だが、これも患者を安心させる
 ための技の一つなのかもしれない。
 あまり言葉多くは語らず、強い思い声で自信ありげに言葉を残すと、教授は
 部屋を出て行った。
 
 それから暫くして、看護婦が病室へと現れる。手術室へ向かうので付いて
 くださいということであった。
 手術というと、患者がベッドに乗せられ手術室へ運ばれる、というのをイメージ
 していたが、今回は本人が脳以外は至って正常であったため、自分の足で
 手術室へと向かう。

 これから自分が手術する場所へ自分で行かなくてはいけない、あまり気持ち
 のいいものではなかったであろう。
 他の四人も後ろについて中央手術室へと向かう。
 手術室は厚い鉄の扉で閉ざされていた。5人は鉄の扉の前で足をとめる。
 案内をした看護婦が扉を開ける。次の瞬間「どうぞ」と彼を中へ誘う。
 四人は彼に色々と声を掛ける。そんな言葉を背中に受けながら彼は扉の奥へ
 と足を進める。
 息子の最後の言葉に、閉まって行く扉の奥で背を向けたまま彼は右手を上げた。

 手術は個人差はあるにせよ、だいたい6・7時間程度かかるという事だ。
 その間、他の四人は病室で待機する。
 暫くの間、部屋は無言となる。聞こえてくるのはテレビから出ている声だけ。
 ベッドとテレビ、冷蔵庫のついたテーブルに荷物を置くクローゼットのようなもの
 と椅子が二つ。
 そんな殺風景な白い空間に四人は手術が終わるのを待ち続けた。

 時は過ぎ午後4時。そろそろ手術が終わってもいい時間だ。
 だが、未だに呼び出しは掛からない。なにかあった場合には連絡するという事
 なので、今のところは特に問題なく手術は進んでいるはずなのだが。
 午後4時30分、流石に皆気になり始める。口に出る言葉は「遅いな・・・」だけ
 であった。

 それから暫くして、一人の看護婦が病室へと現れる。
 どういった状況なのかまでは解らないが、とりあえず手術は終わったとの事だ。
 一時間くらいしたら同じ
 階にあるICU(集中治療室)へと移されるとの事だ。
 
 状況が確認できない為、幾らか不安が募る4人。
 暫くして、病室に看護婦と教授が現れる。此方が何かを言う前に彼は4人へ
 言った。

 「大変な手術でしたが、非常に良い手術が出来ました。」
 
 教授は簡単に話をした後、病室を後にする。四人の顔にも安心の色が伺える。
 
 その後、彼らは病室にて1時間ほど待機していた。
 全身麻酔が切れて目覚めた後、ICUへ移され、その段階で面会をさせて
 もらえるという話であったからだ。
 だが一時間を経過してもまだ連絡が無い。再び緊迫した空気が部屋を包む。
 結局それから1時間半程度経過し、ICUへ移ったと報告があった。
 単に麻酔が切れるのが遅かっただけのようだ。

 看護婦に案内され、ICUの前まで足を進める。二人ずつ、ということなので、
 先に息子その後に親戚
 という順番で面会する事にした。

 面会する前に、実際に執刀を担当した講師の方が現れ、別室で手術内容を
 詳しく説明してくれた。
 話を聞いた限りでは、予想以上に難しい手術であったようだ。また、それだけ
 でなく、脳の状態も症状が出ていないのが不思議なくらい悪い状態であった
 らしい。

 講師の話では、このままだと半身不随位は近いうちに起こっていたかもしれ
 ないということだった。
 そして、話の最後に「本当に手術させてもらってよかった」と言っていた。如何
 にも医者らしい言葉であった。

 講師の話が終り、看護婦にICUへと案内される。

 ICUに入ると、見慣れない機器が沢山設置してあり、看護婦が5・6名程
 常駐していた。
 看護婦に案内され、そのまま彼が横になっているベッドまで行く。
 
 まだ麻酔が完全に切れていないのか、それとも疲れているのか、彼は非常に
 眠そうな顔をしており目は半分閉じたような状態であった。

 術後の経過は悪くないらしく、言葉も僅かだが喋れた。ただ、記憶が断片的な
 せいか、「ここはどこだ」などという言葉が出ていた。
 
 彼はしきりに、「頭が痛い」や「気持ち悪い」などと言っていた。それを見た
 看護婦が痛み止めの座薬を入れる。
 とりあえず、余り長い間いても疲れてしまうので、二人はICUを出る。
 続けて親戚二人が入るが、足早にICUを後にする。彼らの目にも同じように
 映ったようだ。

 その日はICUに入ったままということなので、四人は帰るようにと病院側から
 言われた。
 翌日、検査の結果がよければ通常の病室に戻れるという事だったので、翌日
 また来る事にした。

 外はすっかりと暗くなっていた。かなり都心から離れたこの病院は周りに何も
 無く星を沢山見る事が出来た。
 そんな空を澄んだ夜空を眺めながら、彼らは病院を後にした。


 と、いうことで、今日一日あったことを幾らか省いてますけど全部書きました(^^;
 ちなみに、彼は私の父です(^^;

 之を書いているのは2/3の早朝(夜)ですので、手術から既に一日以上が
 経過しています。
 そういうことなので、2/2の日記は省かせていただきます(^^;